草取りは大変な作業 2014年6月28日、7月6日

自然の摂理を利用して抑草を試みても、上手く行くところと上手く行かないところが発生してしまいます。
まあ、自然にまかせてやってるんで、どうしてもそうなるのは仕方ないかなとも思います。
こうして収穫量が年によって差が出るというのは、やっぱり合理的ではないし、商業ベースに乗りにくいというのも理解出来ます。
だから安定をめざしより効率的に、より増収を考えて農薬や化学肥料を使うというのもあります。
現在の農家のほとんどがその方法論を選択するのは、高齢化や兼業農家化が進む昨今、経済的な問題または労働力の現状を考えれば仕方の無いことなのかも知れません。
でもこのアプローチも、農家だけでなく消費者自身が少し考え方を変えるだけで、意外と簡単に、そして一気に変わるのではないかと思っています。

例えば皆が、こういう作業に理解を示し、
あるときは農村を訪れて作業を手伝い、あるときはその労働力を価格に反映した形で支援する。
そしてできあがった作物の収穫量、色、形などのばらつきを許容する心。
これがあれば、もしかしたら今の小さな農家でも活路が見いだせるかもしれません。

僕らのやっているこうした取り組みでは、これまで土に触れたことの無かった多くの子どもたちが、全身泥まみれになって草取りを行います。
なかには仕事になっていないようなただの泥遊びの子もいますが、そんなこたどうでもいいんです。
田んぼに来て、泥にまみれて、そこに作物が出来るプロセスをイメージできれば良いんです。
その経験は、必ずその子たちの心の中に大きなものを残します。
その子たちは将来大人になった時、スーパーなどでお米や農産物を手に取り、どう思うでしょう。
その子たちは将来大人になった時、田舎を訪れた時に、どんな思いが彼らの胸に去来するでしょう。

田んぼや畑は、人間の命を養う「農地」という役割だけでなく、
自然とふれあう豊かな心を育むことの出来る「教育」の場でもあると考えます。
(草取り大変やけど。まじで)